ギリシャ国内にありながら同国より
治外法権が認められ、各国
正教会の20の修道院・修道小屋(「ケリ」と呼称される)によって
自治がおこなわれる
共和国である。首都は
カリエス。ギリシャ共和国では正教会の一員たる
ギリシャ正教会が主要な宗教であるが、アトスでは正教会で第一の格式を持つ
総主教庁である
コンスタンディヌーポリ総主教庁(コンスタンティノープル総主教庁)の管轄下にあり、現在も中世より受け継がれた厳しい修行生活を送る
修道士が暮らす。こんにち、約2,000人
[ユネスコ世界遺産センター(1997)では「1,600人ほどの修道士」としているのに対し、小学館(1999)では「約2,000人の修道士」としている。修道士の数は1,400人程度であると記す資料もある。なお、1970年代には、聖地の消滅が懸念されるほど修道士の数が減ってしまったが、90年代以降は再び増加傾向にあるという。]の修行僧が
女人禁制のもと、祈りと労働の生活を送っている。
アトス山およびアトス自治修道士共和国の所在するアクティ半島(アトス半島)は、海からの交通手段しかない全長約45kmの細長い岬となっており、幅5kmのその沿岸は断崖絶壁となっている。ここは、
エーゲ海に臨む急崖と険しい山と深い森に囲まれており、他の地域とは隔絶された一種の秘境となっている。
この地に修道士たちが暮らしはじめたのは
7世紀ころのこととされている。聖地としての隆盛は、
963年、
聖アタナシオス[アトスのアタナシオスとも。4世紀の神学者アタナシオス(アレクサンドリアのアタナシオス)とは別の人物。10世紀のアタナシオスは修道士で、皇帝ニケフォロス2世の友人であった。メギスティス・ラヴラ初代修道院長として規律と施設の充実に努めたが、アトスでは「共同体か、それとも孤独の禁欲か」をめぐる論争も巻き起こったという。]が
東ローマ(ビザンツ)帝国の
ニケフォロス2世フォカス(
マケドニア王朝)により
免税特権を賦与されたうえで、当地に初めて
メギスティス・ラヴラ修道院を創立し、厳しい戒律にもとづく共同生活という隠修のスタイルを生み出してからである。以後続々と大小の修道院が建てられ、
11世紀初頭にはその数60を越えた一時期があり、一時、衰退におよんだ時期もあったが、14世紀末には再び40ヶ所にのぼっていたという。また、修道士の数は最盛期には6万に達したこともあるといわれる。
コンスタンティノープルが陥落して東ローマ帝国が滅亡したのち、
オスマン帝国の支配下にあってもそれぞれの修道院はよく正教の伝統を守り、
16世紀ころには、生計の糧として
イコンや
フレスコ画などがつくられた。
トルコの
スルタンたちは、「昼夜を分かたず神の名が称えられる」アトスに、絶大な自治権を認めた。
17世紀から
18世紀にかけてのアトスは、
ギリシャ人の民族心の砦のような役割を果たし、多くのすぐれた教育者を生み、また数多くの識者を育てた。
1829年の
ギリシャ王国の
トルコからの独立後はギリシャ政府の保護下に置かれ、治外法権を認められた独立の共和国として今日にいたっている。