当初、IBMは
IMS/DBの収益を守るため、
関係モデルを実装することを拒んだ。コッドはIBMの顧客に自身のモデルを実装した場合の可能性を提示し、顧客からIBMに圧力をかけさせた。そこでIBMは関係モデルの実装を開発する
System R プロジェクトを立ち上げたが、その開発チームとコッドは分離され、しかもコッドの理論に精通した者はチーム内にいなかった。結果として彼らはコッドの Alpha 言語を使わずにリレーショナルでない
SEQUEL言語を開発した。とはいえ SEQUEL は以前のシステムより優れていた。
ラリー・エリソンは SEQUEL 完成前に発表された論文に基づいて
Oracle を完成させ先に発売している。IBMは、
SQL/DS を発売した。なお、SEQUEL という名前は既に他で使われていたので、
SQL に改称した。
コッドは
クリス・デイトと共同で関係モデルの拡張と開発を続けた。
関係の正規化 (正規形) の一種である
ボイス・コッド正規形には彼の名が刻まれている。関係モデルは
1980年代に隆盛期を迎え、コッドはしばしば古いデータベースに関係モデルをちょっとだけ導入したような悪質なベンダーと戦うキャンペーンを展開しなければならなくなった。そのキャンペーンの一環で
コッドの12の規則を公表し、
関係データベースを定義した。彼のキャンペーンは
SQL言語にもおよび、コッドはこれを彼の理論の間違った実装であるとした。このためコッドの
IBM内の立場は難しいものとなり、コッドはクリス・デイトらと新たな
コンサルティング会社を設立した。