本作には、医学的リアリティと大胆なフィクションが並存しているが、これは医学的事実よりも物語性を優先した、手塚の作劇術の一環である。異星人や幽霊、感情を持つコンピュータを手術するなどという突飛な設定の話も存在する。架空の病気も登場したほか、BJやピノコの医学的設定も現代の医療技術をも超越している(別作品『
ミッドナイト』では、人間の脳交換手術についてBJ本人に「その様な事は漫画だから可能だ」と言わせている)。
医療漫画の元祖として著名な作品であるが、連載当初は主人公の容姿や手術シーンに人間の血や内臓などが描かれる事から、当時流行であった恐怖マンガ的作品として扱われ、秋田書店の少年チャンピオンコミックスでは“恐怖コミックス”に分類されていた。事実、初期の作品中には恐怖感を煽るようなシーンや演出が散見される。後に、チャンピオンコミックスの9巻から25巻の分類は“ヒューマンコミックス”に改められた。
当時の『週刊少年チャンピオン』編集長の壁村耐三が手塚の花道を飾ろうと、自誌に数回分
[当初の予定回数については諸説ある。『週刊少年チャンピオン』編集長の壁村耐三は反応がなければ3回で辞める約束だったとしている(『別冊宝島288 70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか!』)。同誌に連載していた漫画家の石井いさみは10回だったと語り(『名作マンガの知られざる制作現場「ダメ!」と言われてメガヒット』)、評論家の呉智英は5回としている(『朝日ジャーナル臨時増刊 手塚治虫の世界』)]の連載枠を用意したのが連載開始のきっかけと言われる
[安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p196-p198][宇都宮滋一『名作マンガの知られざる制作現場「ダメ!」と言われてメガヒット』東邦出版、2004年、p92-p93]。ただしこの通説に対して、当の壁村耐三は自分から持ちかけたのではなく、手塚自らが「これが最後」と持ち込んだ企画だったと証言している
[「週刊少年チャンピオン突然の黄金期! 元編集長壁村耐三氏インタビュー」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか!』宝島社、1996年、p125-p126]。引退作品になる予定だったため、
漫画家生活30周年記念作品として宣伝された
[実際には1946年デビューで28年目にあたる。]。読み切り形式にしたのは手塚治虫に限らず、当時の『週刊少年チャンピオン』の編集方針であった
[「週刊少年チャンピオン突然の黄金期! 元編集長壁村耐三氏インタビュー」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか!』宝島社、1996年、p1246]が、読み切りでないと手塚が流す回をやるためそれを防ぐためという話もあった
[武居俊樹『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』文藝春秋、2005年、p223-p224]。連載が開始されると読者の反応も良く、3週目で連載の続行が決定した
[大下英治『手塚治虫 ロマン大宇宙 下』潮出版社、1995年、p160]。『
週刊少年マガジン』で連載した『
三つ目がとおる』とともに手塚治虫の少年漫画における1970年代の最大にし少年漫画家としては最後のヒット作であり
[呉智英「『ブラック・ジャック』科学もヒューマニズムも信じない神の眼差し」『朝日ジャーナル臨時増刊 手塚治虫の世界』朝日新聞社、1989年]、本作のヒットによる復活がなければ、手塚治虫は国民的なマンガ家にならなかっただろうとも言われている
[夏目房之介「不死鳥のごとく復活した手塚治虫ー」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか!』宝島社、1996年、p74-p76]。